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私が家をつくる理由

なぜ私が家をつくるのか? 〜自己紹介にかえて〜

  私は父親の勤める会社の社宅で生まれ育ちました。今から37年前のことです。

当時では当たり前かもしれませんが、長屋の作りで、風通りが悪くジメジメとし、床は白アリが食っていて、今思えばとてもほめられた住宅ではありませんでした。 

そんな長屋が私を苦しめた…

カビやハウスダストが原因で私は喘息になり大変苦しみました。毎週毎週、近所の小児科に通い注射を受け、夜はゼイゼイと息苦しく、眠れない夜を何度となく過ごしました。本当に死んでしまうんではないかと思うほど苦しい思いをしました。

一番嫌だったのは、家が狭いし、汚いのでとても友達をこの家に呼ぶことが出来ない事でした。

人生の再出発…

中学校に入学すると同時ぐらいに父と母が離婚することになりました。私は、3歳下の弟と一緒に母について家を出ました。 人生の再出発でした。 しかし、そこには希望はありませんでした。 絵にかいたようなぼろ家からは、抜け出す事ができなかったからです。見かけはお化け屋敷、汲み取り式の臭いトイレ、薄暗い部屋、今考えても具合が悪くなります。やはり喘息は治らず苦しい思いをしました。もちろん友達も家に呼べませんでした。それから3年で取り壊すことが決まり、鉄筋コンクリート造の市営住宅に移り住みました。

親不孝者…

そのころ母は、私たちを育てるために3つも仕事を抱え、寝る暇も惜しんで働いていました。私はそんな母親の苦労も知らず生活が荒れ、バイクを乗りまわし、挙句の果てに高校も中退してしまいました。本当にバカ息子でした。

母の決意…

それから2年ぐらいったったある日、母が突然「家を建てよう」と言い出しました。最初は何を言っているの?想像もしたことがありませんでしたから…弟とびっくりしたのを今でも覚えています。それから家族3人の家づくりが始まりました。

最初は土地の抽選(当時は分譲ブーム)に行ったりしましたが、落選…家づくりどころか、土地が見つからずあきらめかけた矢先でした。母が「良い土地が見つかったから見に行こう」と帰ってきました。その週末土地を見に行ったのですが…びっくりです。山の急斜面ではないですか!こんなところに家が建つのか不安でした。(今なら全く平気ですけど…)母は相当気に入っており、「この土地に決めた!」私たちは母の決断に従いました。

それからが大変、プラン作りで、ああでもない、こうでもないと、私たちは予算のことなど考えず、言いたい放題、泣いたり、笑ったり、喧嘩したり、大変でした。でも家族の心が、家づくりに向かってひとつになりました。私の喘息も知らない間にでなくなっていました。

母の背中を見て…

約1年後に無事完成、そのころ私の気持ちに変化が現れました。母の一生懸命働く姿、そして家づくり。  私の中のもやもやしていた気持が吹き飛びました。私は、もう一度やり直す決意をしました。19歳の秋でした。

私はまずもう一度高校に行くことにしました。 働きながら学校なんて! そんな簡単ではない事は承知の上で必ずやりぬく決意をしました。 「小さな母に負けてはいられない」 そう思い始めていました。 また同時期に、知人の大工さんの経営する工務店に努めることになり、この業界で生きてゆくきっかけをもらいました。 私はそれから必至に働きました。 平日は大工修行、夜は勉強、日曜は学校と365日、3年間やりぬきました。友達やみんなに「お前は狂っている」言われました。

そして卒業…

 仕事はと言うと、2年が過ぎた頃だったと思いますが、突然社長に呼ばれ、謀大手ハウスメーカーの、へ―●ルハウスの下請けをやるから、「お前がやれ!」といきなり言われ、びっくりです。この業界2年そこそこで家一軒(現在も素人が重宝されている)しかも基礎から…分厚いマニュアルを手渡され、また勉強…それからが大変でした。私よりも先輩職人を連れて現場に行くのですが、これが又大変で一筋縄ではいかない連中ばかり、良い経験をさせてもらいました。少々頑張りすぎて過労で倒れ入院したのもこのころでした。

そして勤め先の工務店が倒産!!バブル崩壊のあおりで社長が夜逃げ!私はその後知人の手伝いで、ツーバイフォー住宅の大工になりました。24歳の時でした。あまりなじまなく1年余りでやめることになりました。 

弟と大門建設を立ち上げる!25歳の春でした。横浜で仕事をしていた弟が帰って来たことがきっかけで、二人で頑張ろうと独立!最初は車1台分の駐車場の工事から始めました。お客様に「ありがとう」と言ってもらえる喜びを初めて知りました。そして昼夜働きました。それから工務店・設計事務所の下請けとして経験を積みました。(このころ出会った工務店の社長の影響を受け自然素材の健康住宅に興味を持つ)

32歳、結婚!

29歳の時知り合った由美子と結婚。忙しくて式も挙げていませんが、文句も言わずに、いつもそっと見守ってくれている自慢の妻です。

 


現在の建築業界に疑問・・・

 

建築は価格競争激化、職人の手間を削り、質より量、工務店からは「大門君のところは丁寧過ぎるから高いんだよ。」「予算ないんだからチャチャと適当に…」など当たり前のことをやると会社から文句を言われるようになり、周りの仲間も… ハウスメーカーに行っている知り合いの大工は、若い何も知らない監督に、「もう来なくていい、素人の方が(はいはい)言う事を聞くからいい」「技術はいらないんだよ」とまで言われる。

ただ当たり前のことを言っているだけなのに… 完全にお客様を見ていない、いい家を作ろうなんてさらさらない、「安く建ててやってる」 「こんなのできない」 「しょうがない」 「安くしないと仕事が取れない」 そして打ち合わせもしないでどんどん進めるからクレームは多い、やり直し工事が多いなど…

だから施主様は不機嫌、不満・不安だらけ、そんな現場をいくつも見てきました。

それで本当にいいの?…と私は聞きたい。

すみません。つい興奮してしまいました。私は純粋に自信を持って良いものがつくりたい!お客様のありがとうの声が聞きたい!心の底から満足してもらいたい!そんな思いが募って、元請けになろうと決心しました。33歳の時でした。

この年長女 華花 (はなか) が誕生しました。( かわいくていつもなめまわしていました…笑 )


そしてどん底人生に…


このころ、私は、下請けに悩み、工務店の質の低下、夜逃げ・倒産・工事代金の未払いがかさなりどん底の人生へと落ちて行きました。

今でも、思い出すだけでもぞっとします。

 

A建設、SBSマイホームセンターに展示場を構える、地域の中堅工務店。展示場建設後は順調に受注できていたのですが、2年を過ぎたあたりから受注が減り、工事代金が遅れ気味になってきました。

何度も何度も工事代金の支払いを求めましたが、「来月には全額払うから待ってくれ」その1点張りで、結局支払ってはもらえませんでした。

この会社の失敗点は、豪華な住宅展示場を持ったことでした。展示場はお金がかかります。月に100万以上の経費をかけて維持していかなくてはなりません。そして、無駄な営業マンや事務員まで雇ったら大変なことです。しかもそれだけならともかく、2年に一度ぐらいで建て直さなくてはお客様を呼べません。展示場を建て直す経費は、中堅工務店では大変です。4000万〜5000万円も掛かるのですから…

そのしわ寄せはお客様と私たち職人に来るのです

ある日、仲間の職人から「 A 建設が夜逃げした 」との電話があり、事務所に駆けつけると、荒れ果てた事務所に茫然としました。始めて負債を抱え絶望しました

 

そしてやっと、昼夜働いて返済が終わった頃でした。

 

Sホームズとの出会い…知人の紹介でこの会社の仕事を始めました。

最初は良かったのですが、年末に近くなり、クリスマスもなく突貫工事をさせられました毎日夜の2時まで、職人たちもくたくたでした。今考えると、お客様からお金を早くもらうために必死だったのでしょう

そのころから、支払いが滞り始め、社長に詰め寄ると「来週、お客からお金が入るから」と言ってはぐらかされ、結局払ってはくれませんでした。

私は、施主様の自宅を訪ね、経緯を話すと「今から、社長に言って工事代金を直接払う。」と言って下さいました。奥様も会社が危ういのをうすうす感じていたらしく、泣き崩れていました

私は、「その気持ちだけで結構です。まずお客様の家を完成させましょう。」と言ってしまいました。
本当に危うい感じでした。

それから、電話も通じなくなり1週間後に、弁護士事務所から1枚の通知がきてその会社は倒産しました。社長はもちろん夜逃げをしました。一番悲しいのは、その家の施主様でした

家は未完成なのに、会社は倒産してしまったのですから


私も、終わりかけた借金をまた背負い、体中の力が抜けていくのがわかりました。

 

T建築工業との出会い。材木屋の紹介で仕事をすることになったのだが、この会社が、さらに私を、崖っぷちに追いやる会社になるとは思いもしませんでした。

とにかくやる事が汚い、今も存続していて平気な顔をしている。本当に日本の司法は間違っている。だましたもん勝ち、騙された方が悪くなってしまう。 いつも涙をのむのは弱い者だ!

この会社のやり口は絶妙だ、とにかくいろいろやらせる、監督に聞けば大丈夫、かかった分は会社が出すと、変更、変更、小さな変更ならばまだしも、構造も変わるほどの変更を何度もさせられた。 1か月で終わる工事が4か月掛かってしまった。請求を上げれば専務が出てきて「こんな工事は知らない。文句があるなら壊して持って帰れとまで言う。」 無茶苦茶な話だ。

終いには、監督が勝手にやったことだから、知らないと話にならない。そして、その監督はクビになり、迷宮入りだ、その監督によれば、ほかの業者も同じことでもめているそうだ。その後、その監督は脳梗塞で倒れ、寝たきりの生活をしている

結局、工事代金は貰えず、また負債を抱えてしまう事になる。

もう駄目かも知れない。そんな気持ちにすら陥った。

今まで、何のために仕事をしてきたのだろう。

お客様のために、良い物を作っていれば・・・

それで職人はいいのではなかったのか?

本当に神様すら恨んだ時期でした。

でも、まだ諦めるわけにはいかない。

私には守らなければならない家族がいる

 

このころ、次女桃華が生まれました。

このままではいけない! 私自身も家族もお客様もそして職人たちも・・・

みんな幸せにはならない。 会社の都合を押しつけられ、無駄なお金を支払うお客様

一所懸命働く職人たちが工事代金を踏み倒され、それを支える家族が貧しい思いをしている。

そして私は、自分で工務店をやる決意をしました。

お客様が幸せになり、職人や家族がみんな笑顔でいられるために・・・

 

挫折と光・・・

12月の寒い日、現場が終わってからコピーしたチラシを配りに行きました。 骨身に染みる寒さでした。  

なぜ、夜を選んだかと言うと、人目を避けるためです。 犬がいないのを確認したうえで郵便箱にチラシを入れました。 入口に郵便受けがあればいいのですが、家の奥の方にある場合は、何か悪いことでもしているような気持ちになり,とても辛い思いでした

家を出る時は手袋をしてますが、手袋をしていると効率が悪いので外しました。 寒さでだんだん指の感覚がなくなってきました。 温めてくれるのは自分の白い息だけでした。 そしてチラシをまき終わったのは夜中の12時を回っていました。

それから私は、電話を待ちました。1日、2日…そして1週間…
結局電話は鳴りませんでした。 チラシも撒きましたが、資金も底をつき、私の初めての試みは失敗に終わりました。

その後も、昼、夜必死に働きました。しかし、悪循環のスパイラルからはなかなか抜けることが出来ませんでした。もう人生に疲れっ切っていました。もう睡眠時間2時間を何か月続けているのかも解らない位、もうろうとしていました。

死ぬか生きるか!

睡眠時間を裂き、借金のために働き疲れ果てた矢先、ついに運命の分かれ道、生死の選択の日がやってきました。その日は、もう精神的にも、体力的にも限界でした。時間は、午前3時を回っていたと思います。睡魔が私を襲ってきました。私は、ヒノヤの駐車場でひと眠りしてから帰ろうと思いますが、この時間まで私に付き合ってくれた職人が、材料を下ろしに資材置き場に向かっていました。私は、その職人に悪いと思い、資材置き場に向かいました。5分後私の意識は消えました。「ハッと、気がついた時には目の前に大木が立っていました。」私は、瞬時にハンドルを切り、間一髪、助かりました。気がつくと、大木が私の横に座っていました。あと、コンマ何秒か遅ければ、間違いなく生死をさまよっていた事でしょう。

これで、3度目です。私は、以前にも2度命拾いしています。少年時代にトレーラーにひかれ、働き始めたばかりの通勤途中に、ガス運搬車にひかれていますが、どちらも大した怪我をしませんでした。今考えれば、生きているのが不思議なくらいです。きっとご先祖様が守ってくれているのだと、あらためて感じました。もう3度も救ってもらった命です。怖いものはありません。もう何があっても動じません。

ご先祖様、ありがとう・・・

 

その後、約2か月がたったある日、1本の電話が鳴りました。「リフォームをしたいのですが相談に乗って頂けますか?」涙が出るほどうれしかったです。ほんの少し光が見えた瞬間でした。

それからは、ありがたいことに毎日仕事をいただけるまでになり、お客様に笑顔で「ありがとう」と言ってもらえるような仕事ができるようになりました。まだ始まったばかりではありますが・・・

振り返ると・・・きっと神様が「 お前がやらんといかん!」 と言っているようでした。 

そして家族の支えがありました。

人はなかなか新しい事へは行動出来ないものです。 ですからきっと私に試練を与え、重い腰を上げろと神様は言いたかったのだと思います。 

おかげで建築業界の汚さ・醜さ・物売りの自分勝手・お客様のためと言って自分達の存続のために人を騙し、傷つける業者の実態もわかりました。

今現在身近でも、40万の工事を200万でやっている悪質業者がいます。

職人は、傷つき、罪悪感で施主さんの顔もろくに見れないと嘆いています。

業者はやり逃げで、具合が悪くなれば会社をつぶして、名前を変えてのうのうと現在も営業しています。

リフォームや家づくりは、お客様と私そして職人が同じ方向を向いて、横に並び、手をつないでゴールを目指さなければ必ず失敗します。

私は、今までの辛い経験をバネに皆さんと一緒に生きていこうと思います。

 

足早に私の半生をお話ししました。 ちょっと長すぎるかもしれません。 でもまだまだ沢山、私の事を知ってもらいたいのです。そして、今までたくさんの人との出会いがありました。 これからもまた新しい出会いが待っています。


あなたとも… これからも年輪のように積み重なっていくと思うだけで楽しくなります。

 

そして、住環境が人の人生までも変えると言う事を知って頂きたい!私がそうであったように・・・

現在キレる子どもや、凶悪な犯罪が増えています。すべてとは言いませんが、住宅その原因も指摘され始めています。私は、家を作る立場から、少しでも子供たちが健やかに育つ環境を作って行きたいです。


本当に下手な文章を、お読み下さってありがとうございました。



追申 最後に…



私は、現在、営業・現場管理を一人でやっています

(妻と子供たちが支えてくれていますが…)

立派な事務所も展示場もありません。 ブランドもありません。 派手な広告や宣伝もしません。

それはすべて自分で責任を持ちたいからです。他人任せは嫌なのです。

そして、お客様の大切なお金を1円も無駄にしたくないからです

そんな私のあり方を、理解していただけるお客様に、とことん私の時間を使っていただきたいのです。

そして、私と一生の付き合いをして頂きたいです。

新築・リフォームで一番大事なのは信頼関係です。120%お客様が満足できる住宅を、お客様といっしょに作っていくことを、私はお約束します。

                                                大門祥裕


 

 

 

 

 

 

 


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